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風懐がなけれ

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風懐がなけれ


「人相というものは朝と晩とでも変わる」いや、人相は始終変わっていると言っていると言っていいだろう。たとえば、不運な人相をしている人が社会へでて、永久にそのままかというと、決してそうではない。自分の心がけ一つで、自分の相を直して預訂機票、開運することができる。いまの若い人たちは、一笑に付すかもしれないが、これはほんとうの話である。もし、ウソだと思うなら、早速、明日から鏡にうつる自分の顔と対決してみることだ。自分の心との対決であることに、やがて気がつくだろう」

日本一のブックストア、丸善相談役の司忠の一言だが、司は、毎朝、鏡の前に立って、自分の人相を直す。懸命に顔の筋肉をゆるめて柔和な顔にする。

維新の元勲、大久保利通は、「男子の顔色は洒々落々(しゃしゃらくらく)の風懐がなければいけない」とよく言った。

「洒々落々」とは、さらりとして、ものごとにこだわらぬことだが頭油多、大久保利通は毎朝、ひげを剃るたびに、鏡の自分の顔を照らして、「毫(ごう)も洒々落々たるところなし」と嘆いたと伝えられている。

たぶん、盟友西郷隆盛を「暗殺しようとした」という噂が定着していたことへの苦悩があったのであろう。

「神はおまえに一つの顔を与え給うた。ところが、お前は自分で別の顔をつくり直した」とは、シェイクスピアの名言だが、人間には精神がある。この精神を磨いて德善、ある心境に達すると、その精神の輝きが自然に顔に現れてくる。そうなると醜男が醜男でなくなる。
作家の小島政二朗も長年の人生経験から、「精神の鍛錬を怠らない人の顔はどこか違ったところがある。五百人、千人の中に一人まじっていてもすぐわかる」と言いきっている。

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