
歴史上の人物は良く描かれたり、毀(かこ)って描かれたりもする。 後世の人たちの考え方一つであったりする。 その中でも『三国志』でよく知られる曹操(そうそう)も
康泰領隊、そんな人物の一人。 彼は、漢末の朝廷に仕え、動乱期に当代一流の兵法家としての実力を発揮し 実質的に魏を興すことになる。 そして、すぐれた文人であり詩人でもあった。 そんな人物だが、『三国志演義』では極悪人に描かれ、 京劇などでも悪役の代表でもある
nuhart植眉。 それは、それなりの理由もある。 曹操は、新しい酒造法を開発するような人物でもあったが、 実質的に天下の実権を握っていたときに「酒造禁止令」を出す。 これは、兵糧確保のためであったが、 曹操の実質的なナンバー2の立場であった孔融(こうゆう)が、 「どうして」なのかを訊ねると、 曹操は、「酒は亡国のモトなれば」と応えた。 この孔融は孔子の二十世の子孫であり、教養にかけては、 並ぶものなきという人物だったせいか、 「亡国のもととなったのは、 酒、色事に限らず、仁義も道徳も、場合によっては、 学問さえも亡国となった例がある」 と曹操に弁舌をぶった。 曹操は激怒し、孔融を一族もろともに処刑したという。 この処刑の理由は
威尼斯旅遊、 「言多ければ事をして敗れしむ (言多令事負)」 すなわち、トップに対する一言(ひとこと)が、多いために起こった事。 いつの時代も、 独裁国のナンバー2は、非常に微妙と言えそうだ。